アブサン partie/01 雨の夜だった。 露(るう)はいつものように、賭場の扉を開けた。 青い傘の雫をはらって、すでに一杯になっている傘立てへと押し込む。 ひととおり、店内を見渡すと、彼女は、カウンターで一人、グラスを傾ける男の隣へと向かった。 「隣・・・、いいかしら?」 「どうぞ?」 「・・・何よ、冷たいじゃない最近。」 「そう?」 そう短く答えて、悟浄は幾人もの女性を虜にしてやまないその赤い瞳で、見つめた。お詫びとばかりに。その視線に、露はふっと淡い翠の瞳を細めて無言で答えた。 「マスター、私も同じのちょうだい。」 悟浄の手にしている、乳白色の酒の入ったグラスを指す、指には、ツユクサの色のマニキュアがきれいに塗ってあった。 「いいの?これ結構強いよ?」 「そうだね、ちょっと君にはきついかも知れないね、でもちょっと待ってて。」 「きれいね・・・。」 そう言って、銀のお皿と、悟浄の揺らすグラスを不思議そうに見比べた。 悟浄の傾けているものと、この皿に乗せられたものとは余りにも違いすぎた。 「水に、落としてごらん、悟浄のと同じものだってわかるから。」 言われるままに、緑色の角砂糖を一つ取って水の入ったグラスにポチャンと落としてみる。 グラスの底にコツンと落ちたそれは、小さな泡をいくつかまといながら、少しずつ溶けていった。角砂糖から、ゆらゆらと、陽炎のように立ち上るのは、緑ではなく、白い色をしていた。 「不思議ね。これ。」 「まま、のんでみって。」 細いスプーンで、一回まわすと、それはすっかり白い半透明の飲み物へと姿を変えた。一口含んで、初めてのその酒の味を確かめるように・・・。 「・・・・・あ、・・・甘い。でも、ちょっと苦い。」 「砂糖水みたいな物だからね。そのままだと、苦いだけだよ。」 彼と、夜を共にしたことは、ない。幾度か望んだことはあったけれど、何故か、やんわりと断られたのを憶えている。別に嫌われているわけではない。こうして、他愛もない話に付き合ってくれるのだから。と、そう思いたい。それに、もう、彼が自分を抱かない理由は知っている。 銀の皿に、緑の角砂糖と、自分の翠色の虹彩が映って、揺らめく光の中で、溶け合っていた。 「・・・・・あ、コレ、私の目と同じ色よ、ねぇ悟浄。」 「え?」 しばしの沈黙の後、突然問い掛けられて、肩から、紅い髪がするりと落ちた。 「・・・そうか?そうだな・・・、でもお前の目は、もちっと薄い色だよ。」 少し考えてから、露の頬に手を添えて、親指で彼女の下の瞼を少し引っ張りながら言った、 「そう?」 「そう、お前のはもっとこう、ふわっとした感じ。」 そうかしら、小さく呟いて、また銀の皿へ視線を落とした。 確かに、角砂糖の深い緑とは違うけれど、それでも緑には変わりないと。 「・・・私の目が、・・・・・黒かったらよかったのに。」 ひとり言のように零れた言葉に、露は自分でもびっくりした。 「そう?俺、お前の目の色きれいだと思うけど?それじゃダメ?」 「ダメじゃないけど?でもね、あなた、気付いてないの?」 「何が?」 「知ってる?あなた、緑の目の子は、優しくするけど、絶対に誘わないって。」 「そうだっけ?」 「私の誘いを三回も断っておいて、知らないとは言わせないわよ?」 「・・・はは、そー言えばそーかもねー。」 そう言って、視線をそらす悟浄に、別に怒る気は起きなかった。 「まぁ、女の人に困ってないのは知ってるけど?」 「まぁね、っつーかね、気が引けるんだわ、こう、その目で見つめられっとね。吸い込まれそうと言うか・・・。」 「は?」 「なんつーか、こう、手を出しちゃいけないような。手を出したらね、そのまま溺れそうで怖いんだよ。・・・それに、俺は皆のもの(?)だしね。」 「ふーん、なんか複雑ね。良くわかんないけど。」 そんな呟きだけが、賭場の喧騒の中にかき消されていった。あとは雨音の刻む不揃いなリズム。 まさか、彼が自分をそんな風に見ているとは知らなかった。 何だか、くすぐったいような気分だった。たとえ、それが自分だけではない、緑を目の女性全般に渡る見解だったとしても。それでも、その夜、彼女は雨の音と、悟浄の声にそっと、耳をかたむけていた。
19/juin/2001
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