絡まった絲 きりきりと締め付けられる感覚に、くらくらしながら、悟浄はゆっくり息を吐いた。 いつものように、夜になるまでの時間をつぶしていた悟浄が、何かを思い出したように、自分の部屋へと入っていった。 夕食を作る手を止めて、八戒が待っていると、彼はなにやら灰色の束を持って、戻ってきた。 「何ですかそれ?」 「浴衣。」 よく見ると、それは灰色の綿地に、黒で細かな絣模様が施された、なかなか良質の浴衣だった。 「・・・ああ、今日はお祭りに行くって言ってましたもんね。」 そうだ、女と祭りに行くと・・・・・。 「そうそう。」 「で、僕にどうしろと?」 「着せて♪」 「・・・・・しょうがないですねぇ。じゃあちょっと待ってください。」 そう言って、八戒は切りかけの、野菜を適当に鍋に入れてから、手を洗った。エプロンで手を拭きながら、 「じゃあ、洋服脱いじゃって下さい。」 と言うと、 「え〜。恥ずかしい〜。」 と、とぼけた返事が返ってきた。 「・・・あたりまえでしょうが。それとも、ホントにその上から着ますか?」 「へいへい。了解いたしました。」 あまり、ふざけていると着せてもらえなくなりそうだったので、素直に服を脱いでソファに投げやった。ちゃんと洗濯カゴに入れて下さい、とでも言うような視線を背中に感じたけど、それはあっさりと無視した。 「とりあえず、袖通しちゃって下さい。」 「ほーい。」 灰色のそれに、袖を通すと、悟浄の長身の所為か、着丈は腰で折り返す必要がほとんどないほどちょうどよかった。 八戒の手は裾の丈と前を合わせて、器用に前身ごろを整えていく、そしてまず一本目の紐をまわした。 そして、 今に至る。 「八・・戒!お前、もうちょっと優しく出来ねーのかよ!コレじゃ苦しいって!」 容赦なく紐を締め上げる八戒に耐え切れず弱音を吐いた。 「一本目が肝心なんですよ。コレをちゃんとしなかったら、着崩れしちゃいます。」 平然としながら、なおもきつく締めようとする、八戒に、悟浄は近所のおばちゃんに頼めばよかったと、今更ながらに後悔した。 「でもー、どうせ、さ、ほら、すぐに脱いじゃうんだし〜?」 「ふーん、あ、そうですかー。へー、じゃぁその時は自分でちゃーんと着付けて下さいねー。」 締め上げた紐を手際よく結んで、折り返した前身ごろをかぶせると、二本目の紐を、さっきよりは緩めに結んだ。 「悟浄、帯とって下さい。」 「はいよ。」 渡された、それは、真新しい帯だった。黒地に所々臙脂と深緑の細い糸模様が入っていた。それは、灰色の絣の浴衣に良く合っていた。誰が選んだのか、それが、少し、気になった。・・・・・・今日、一緒に行くといっていた、女性だろうか?だとしたら、彼女も、この浴衣に合うような・・・そう、白地に紺で、花か蝶の模様、帯は少しだけ落ち着いた色合の赤で・・・。 「八戒?」 「・・・あ、ええ、スミマセン。」 余計なことにまで頭をめぐらせていた自分に、八戒は少し自嘲気味に口元をゆがめた。 「どうした?」 「いえ、別に・・・、この帯で最後ですから、我慢してくださいね?」 「はーい。先生。」 見た目のわりに細身のその体に、帯はちょうど三度、まわった。 「はい、コレで、完了です。」 「なあ、八戒も行かねぇ?」 「え?だって、女性の方と行くんでしょう?」 「まあそうだけど。」 「いいですよ、お邪魔虫になりたくありませんしね。」 「何?やきもち?」 「やいてほしいんですか?」 肩越しに見てくる紅い目を、にらみ返してやった。 「そうだ、念の為、教えておいて上げますよ。」 そう言って、八戒は自分の右手をするりと前の合わせ目の中に滑らした。冷たい指先が、少し体温の高めの悟浄の肌をかすめた。 一瞬、怯んだように体をすくめた、悟浄に、八戒は笑いながら言った。 「前の合わせ目の覚え方ですよ。右手が入るようにするんです。左側が上ですからね。」 「何だよ、このまま襲われるかと思ったじゃん。」 「まぁ、そうしてしまっても構いませんが?」 「・・・・・・・。」 「やですねぇ、冗談ですよ。」 「怖い冗談はヤメテ〜。」 「とにかく、左が上ですから。右前が上になると、それは死装束ですから気を付けて下さいねー。」 紅くなっている耳元でそう言って、八戒は再び調理台の方へと向かった。 背後からは、パンパンと、裾をはたく音がする。 玄関に置いてあった下駄を履くと、 「んじゃま、行ってくるとしますか。」 と、悟浄は背を向けたままの八戒にいった。 「行ってらっしゃい。」 勤めて明るい笑顔で振り返り、手を振るかわりに包丁を持った手を少し上げると、悟浄は、屈託なく笑って手を振りながら、ドアを閉めた。
・ ・ ・ ・ ・ ぱ た ん 。 カラコロと森の道を行く悟浄の口笛が段々と、遠ざかって行くのがわかった。やがて、口笛が聞えなくなると、そこには、声を発する物はなにもなくなった。 一人きりで食べた、その日の煮付けは、底の方が少しだけ焦げていた。
17/juin/2001 |